こんにちは、ひろむです。
最近、読者さんやコンサル生から
「ひろむさんは早稲田だからやっぱり頭良いですね」
「学歴がある方がビジネスって上手くいくんでしょうか?」
「元々、優秀だったから、成功したのでは?」
と言われる事が増えてきたので、少し話そうかなと思います。
僕としては、
「学歴とビジネスは全く関係ないし、
むしろ、僕は早稲田という学歴が邪魔だった。。」
という回答をいつもしてるのですが、
そこについて少し話していこうかなと。
Contents
次々と現れた天才たちを見て、絶望した大学時代
最初に言っておきますが、僕は勉強が好きだったわけではありません。
というか、むしろ、受験勉強でやりたくもない勉強を死ぬほど詰め込んで、嫌になった記憶しかないです。
「もう勉強したくないよ、、、でも、自分には勉強しかないんだ、、、」
そう思って、必死に机に向かって勉強に取り組んでたことを覚えています。
そして、中学高校時代は、全く友達も作れず、学校に馴染むことができませんでした。
だからこそ、現実逃避をするが如く、勉強をしたわけです。
それで、早稲田大学に入ったのですが、確かに最初は、「おっしゃ!自分はもしかして天才かー?」と調子に乗った時期もあったのですが、すぐにその思いは打ち砕かれました。
大学に入学して、すぐに僕は絶望を味わうことになります。
というのも、早稲田には本当にぶっ飛んだ人が多かったり、明らかに狂ってる天才とかしか言いようがない人たちがたくさんいたからです。
具体的には。。。。。
「たった1日の勉強で5000文字の文章を丸暗記して、テストで満点を取る」
「朝から晩まで、実験を毎日繰り返し、論文を書き続け、優秀賞として学外から評価される」
「1年生のうちから、毎月200万くらいを稼ぎ出して、自分の会社を作る」
こーいう感じです。
僕自身、全く真似はできませんでしたし、真似ようとすら思いませんでした。
「この人たちとは次元が違う。。。。」
と呆然とするしかありません。
僕はもともと、人よりも長時間コツコツ継続して、目標を達成するタイプの人間なので、こーいうぶっ飛んだことはできません。
そして、そーいう天才たちが、「毎日10時間近く本を読み続ける」とか、「教授にディベートで勝負を仕掛ける」とか、「プログラムを組んで、実験を1人で始める」みたいなことをやり出すので、勝てるはずがありません。
その時点で、僕はいきなり絶望することになります。
「これまでずっと勉強で頑張ってきたけど、別に自分は優秀なんかじゃなかったんだ。。。」
ということに気づいたのです。
その時僕は何か自分の自信を打ち砕かれたように思いました。
中学高校時代に、友達も彼女もできずに、一人ぼっちで悩んでいた僕。
そんな僕が唯一、現実逃避するための手段が「勉強」でした。
「みんなから認められたい・・・」
「みんなにすごいと思われたい。。」
そんな風に劣等感の塊になって、必死になって勉強に打ち込んできました。
そして、勉強すればするほど、「ひろむさんは頭がいいですね!」「ひろむ!勉強教えてくれ!」と言われて、話しかけられることが増えるようになりました。
「ひろむは頭がいいね!」と言われることで、僕は自分の存在意義を確認し、自分の承認欲求を埋め合わせていました。
そんな僕にとって、「頭がいいね!」と言われなくなることは、とても辛くて耐えられない。。。
まるで、自分の存在意義が消滅したかのように、
「一体、僕は何なんだろう。。。。」と軽く鬱っぽくなりました。
まるで心にポッカリと穴が開いたようでした。
そして、僕は「勉強で勝つのは無理だから、別のことで大学は頑張ろう」と大人しく、決めることになります。
勉強以外で頑張るためにバイトをするがクビになる
ただ、僕はアルバイトを始めるのですが、ここでも絶望することになります。
というのも、全く壊滅的に仕事ができないからです。
・先輩や店長から指示された内容をすぐに忘れてしまい、怒られ続ける
・お客さんが怒っていたり、早く作業しないといけないというプレッシャーを感じるとミスを連発する
・マルチタスクが壊滅的にできなくて、仕事が遅いと怒られ続ける
こんな調子が続いてしまい、バイトをクビになって転々とする日々。
だからこそ、僕はかなりの数のアルバイトを経験しました。
(辞める、働くを繰り返したので数は多いです)
(コンビニ、スーパー、塾講師、家庭教師、居酒屋、マネキン運び、家賃滞納者追い出し、コンサート設営、コンサートスタッフ、路上アンケート、プラカード持ち、試験監督、バルーンアートを持つ係、レストラン、ドラッグストア、カフェ、パン屋などなど・・・・)
ただ、どのバイトも次々とクビになって、結局、派遣のバイトを繰り返しました。
だからこそ、僕は将来への尋常じゃない不安があったわけです。
「バイトすらまともに働けないのに、本当にこの先生きていけるんだろうか」
「自分は会社に入った後に、生き残れるんだろうか?」
「本当にこの社会に適応することができるんだろうか?」
こう思えば思うほど、どうやって生きていけばいいのかわからなくなったのです。
せっかく、早稲田に入ったのに、この先の人生が辛そうでどうしようもない。
安定どころか、まずまともに働くことができない。
僕は今まで、良い大学に入って、良い企業に入れば幸せになれると思っていた・・・・
でも、実際は違った。。。。
この時の僕は、「ただひたすら絶望」していました。
この先、僕はどうすれば良いんだろう。
自分に未来はあるのか?
この先、生きていけるのかな・・・
そんな風に悩み続けてしまいました。
「そんなバイトをクビになったくらいで大げさな。。。。」と思うかもしれませんが、僕は日常生活でもあらゆる支障をきたしていたわけです。
何もかもがうまくいかずに人生に絶望
自分にHSP気質があることに気づいたのは、大学生になってからです。
ただ、それを知る前は本当に毎日が苦しかったです。
満員電車に乗るたびに、気分が悪くなって、頭痛がしたりとか、何回か倒れたりとか、大人数の飲み会に行くたびにソワソワ落ち着かなくなって、逆に黙り込んでしまったり、
人混みに行くと、息苦しくなって、体調を崩してしまったり、
居酒屋に行って、調味料と添加物まみれのご飯を食べると、気持ち悪くなったり。
全く理解ができなかったです。
「なんでこんなに、疲れてるんだ。。。。」
と自分を何回も疑いました。
実際に、大学に行けば行くほど、体調が悪くなりました。
「マジでなんなんだこれは、、、、もう自分は何か病気なのでは?」と何回も疑ったレベルです。
周りの人たちのように普通に大学生活を楽しめない。
それどころか、まともに大学生活を送ることすらできない。
その上、勉強もバイトも何もかもできない。
そんな僕が常にハマっていたのは、お酒だけでした。
アルコールに逃げることしかできなかったのです。
お酒を飲んでは、現実逃避を繰り返す。
そんな日々が続いていきました。
普通の人生を送るために早稲田に入ったものの。。。
僕が早稲田に入ったのも、社会のレールに乗って、「普通の人生」を送り、「普通の幸せ」を手にしたかったからでした。
そして、中学高校で全く友達ができずに、不登校になって、うまくいかなかった僕には、「良い大学に入る」という道しか残されてなかったのです。
ですが、実際に早稲田に入ったとしても、僕は何も変わることはできませんでした。
確かに、早稲田を出ていれば良い会社に入れるというのは一応、事実です。
ただ、コンビニやスーパーのバイトを次々とクビになり、集団での飲み会に行くと疲労困憊し、マルチタスクが壊滅的にできない僕が良い会社に入ったとしても、まともな人生を送れるとは思わなかったのです。
実際にコンビニやスーパーのバイトを始める時も、「へー、ひろむさんは早稲田なんですね」と「早稲田ってすごいですね!」と言われ続けて、期待はされます。
ただ、その期待とは裏腹に仕事が壊滅的にできないので、一気に幻滅されないのです。
「早稲田なのに使えねーな」と言われる始末。
「なんでこんなに、僕には仕事ができないんだろう」
「誰でもできる仕事がうまくできない・・・」
なんで?
なんで僕にはできないの???
そんな風に1人で涙を流すこともありました。
僕はそれを何回も繰り返していたからこそ、例え良い会社に入っても、うまく行く未来が見えなかったのです。
「会社に入ったら定年まで働き続ける」
こんな生活が自分にできるイメージが浮かばないわけです。
もし、自分が会社に入ったら、ずっと上司から怒られ続けるんだろうな・・・・
それで、1人で落ち込んで、毎日クヨクヨして、死にそうな顔をしながら、会社に行き続ける。
転職を繰り返して、最終的にうつ病になるのかもなあ。。。。。。
だからこそ、僕は本当に絶望していました。
「死んだ方がマシかもしれない」と何回も思ったことを覚えてます。
次第に、僕の頭の中で今まで「常識」だと思っていたものがガラガラと崩れていくのを感じました。
「早稲田に入ったら良い会社に入れると思ってたのに。。。。」
「その先の人生がうまく行くって思ってたのに。。。。」
「自分はこれが正解だと思っていたのに。。。。」
「だから、今までずっと勉強し続けてきたのに・・・」
なんで????
どうして????
僕は一体、どこで間違えたんだろう
むしろ、当時の自分には「早稲田」という学歴自体が邪魔に見えてきました。
というのも、中途半端なプライドと覚悟を作ってしまったからです。
もし僕が仮に、大学に行ってなかったり、勉強を全然していなかったら、「社会のレール」から思いっきり外れて、「自分の人生を生きてやる!」とすぐに思えたでしょう。
そして、「俺には学歴なんかないんだから、もうプライドも恥も捨てて成り上がってやるぜ!」と思えたのかもしれません。
ですが、早稲田という中途半端なブランドは僕を縛り付けました。
思い切って社会のレールを外れるか?
いやでも、ある程度の会社にはそこそこ就職できる。。。。。。
それに、せっかくここまでして得てきた学歴を捨てるのは。。。。。
要はどっちつかずの中途半端野郎だったわけです。
だからこそ、僕は何かを始めるにも迷い続けていたし、非常に腰が重かったわけです。
僕はこの先どうすればいいのだろうか。。。。。
考えれば、考えるほど僕はわからなくなっていきました。
僕が早稲田大学を退学したくなった瞬間
ただ、僕が自分の学歴である「早稲田」というものを捨てたくなった瞬間が来ることになります。
正確に言うと、僕はある出来事をきっかけにして、早稲田を退学したくなったわけです。
何が起こったのかと言うと、ある日僕は家族と父の友人で飲んでいたことがありました。
その父の友人とは、僕の家族ぐるみの付き合いで、一緒に旅行に行ったりする仲なわけです。
で、その時に、僕が早稲田に入ったことをその友人と話していました。
そして、父の友人も、「早稲田か!すごいね!」と散々褒めてくださったのですが、僕の父がこう言いました。
「そうだよ、俺はひろむを早稲田に入れるのが夢だったんだよ」
「だから、ひろむは俺の夢を叶えてくれたから嬉しかったんだよ」
と。
僕はこの瞬間、非常に恐ろしい気分になり、思考が止まりました。
僕は今まで自分で努力して、早稲田に入ったと思っていました。
僕は中学高校時代から、勉強に打ち込んできました。
それも、「普通の良き人生を送るため」です。
そして、僕は浪人を経たものの、早稲田に入ることができたわけです。
それは、紛れもなく、自分の実力と努力によって成されたものだと信じていました。
でも、実際は違ったのです。
全て、父が望んでいたことであり、父が思っていた人生を自分は歩いていただけだった。
この瞬間、僕の体の中から何かがスーッと抜けるような感覚に陥り、目の前が真っ暗になりました。
「僕は僕じゃなかった」
よく意味がわからなかった台詞ですが、このように呟いていたのを覚えています。
今思えば、僕の中学高校時代に、塾に通わせてくれたのも父ですし、浪人時代にお金を出してくれたのも父です。
結局の所、僕は自分で人生を歩いていたのではなく、歩かさせられていただけだっただなと気づいたのです。
そう思った瞬間、僕が感じていた「早稲田」への中途半端なこだわりは全て消え去り、むしろ、「早稲田」という学歴がバカバカしくなりました。
「お前が手にしたものじゃない」
心の中でそう自分が言っているのが聞こえたのです。
そう、僕が手にしたわけじゃない。
僕が知らず知らずのうちに手にしていただけだ。
一度、絶望しましたが、何か吹っ切れたような感覚も得ることができました。
僕は初めて、自分で自分の人生を歩きたいとこの時、強く思ったのです。
ネットビジネスを初めて逆に人生が開けた
「このままじゃヤバイ・・・・」
「何かをしないと、本当に大学生活が終わってしまう」
そんな風に思っていた時に出会ったのがネットビジネスでした。
初めこそ胡散臭いと思いましたし、「誰がこんなのやるんだよw」とバカにしていたことを覚えています。
・パソコン1台で月に何十万、何百万と稼ぐことができる
・いつでもどこでも仕事ができるし、専業でやってる人もザラ
・不労所得を得ることが可能
アフィリエイトをやってる友人からこーいうことを聞かされましたけど、「怪しすぎ」としか思いませんでした。
だって、どう考えても怪しすぎます。
不労所得とか月に何百万とか意味がわかりません。
(ネットでお金を稼いだらヤクザが家に取り立てにくるのではと意味のわからないことを当時は考えてました)
ですが、僕には他に選択肢がなかったのです。
正直、胡散臭すぎると思っていたのですが、もしこれで稼げるようになったら。。。と考えたら、やりたいと思ったのです。
そうして、アフィリエイトを開始。
その当時、アフィリエイトの存在を教えてくれた友人とはその時限りで付き合いはありませんでしたが、1人でコツコツとネットビジネスを始めるようになります。
ネットビジネスは、「商品を紹介するウェブサイト」を作って、アクセスを集めていけば、報酬が発生するという仕組みです。
そのサイトから自分が紹介した商品が売れれば、紹介料として自分にお金が入る仕組み。
作業、作業、作業。。。。。
僕は作業を繰り返します。
そうしたら、ネットビジネスを始めて、半年ちょっとで30万くらい稼げるようになりました。
当時は本当に嬉しかったです。
「ネットビジネスで稼いだら、ヤクザが家に来るのでは」と意味のわからないことで怯えていた僕にとって、月収30万も稼げたことは奇跡のように思いました。
「おっしゃ!これって、新卒の手取り以上じゃねえか!すごいぞアフィリエイト!このまま作業を続けていけば。。。。」
と僕はかなり嬉しかったです。
実際に、教材やセミナーの内容の通り、コツコツ実践をした感じです。
僕自身、才能やセンスがなかったので、受験勉強と同じようにひたすら教材の内容を実践していきました。
そして、今では月収80万を超えて、100万に到達。
僕自身、ありえない金額を稼ぎ出してしまった、、、と1人で狂喜乱舞しました。
僕はこの日本社会で生きて行けるか不安で仕方がなかったのですが、ネットビジネスを始めて、一筋の光が見えたような気がしたのです。
全く社会に適合できなかった僕がこれだけ稼いでるわけです。
だからこそ、本当にネットビジネスには夢があるなあと思います。
事実、僕はこれまで話してきた通り、バイトもできず、飲み会も疲れてしまい、人混みにすらいけない。
そんな状態だったからこそ、「自分のパソコンで仕事ができてお金が稼げる」ことで人生が変わったように思います。
僕はネットビジネスをすることによって、逆に人生が開けたのです。
もはや普通の人生を歩く必要がないとすら思った
僕は今まで、普通の人生を生きることこそが幸せへの近道だと思ってました。
だからこそ、周りの人たちを見て僕はいつも羨ましがってました。
友達が多いクラスメートだったり、可愛い彼女を連れている友人。
話が面白いみんなからの人気者。
勉強ができて表彰される同期
こーいう人たちを見ていれば見ているほど、何か置いてけぼりにされている感覚になったし、劣等感を強く感じるようになりました。
でも、今はそう感じません。
別に羨ましいとも思いませんし、なりたいと思いません。
僕らは彼らみたいになれないし、なる必要もない。
ただ、
そのように僕は悟ったからです。
そして、僕は彼らのように無理して「普通に生きる」ことはしなくなりましたし、「普通に生きなくていい」と言うことにも気づきました。
僕は実際に、ネットビジネスを始めてからお金が勝手に入ってくるようになったし、好きなように暮らせばいいだけなので。
もちろん、遊んでばかりではないし、今はどちらかというと、自分のやりたい仕事に全力で取り組んでいます。
ただ、「自分は自分でいい」ということを素直に感じるようになりました。
別に、周りに合わせる必要はないし、自分を押し殺す必要もないとわかったのです。
昔みたいに、人生に絶望して、必死に周りに話を合わせたりとか、辛い中無理して、一緒にいることもありません。
無理して食べたくもない調味料まみれの外食を食べる必要も無くなりました。
そう考えると、「早稲田に入る必要って実はなかったんじゃ。。。。」とも思いますが、今では結果オーライなのかなと。
それに今では、好きなように遊べますし、好きなだけご飯も食べれるので、あまり関係ないっちゃないかなと思います。
ストレスに悩まされることもなければ、家でじっくりビジネスの勉強や、カウンセリングの手法を研究してたりするので、自分がHSPであることも時に忘れてしまいます。
非常に心の余裕が生まれたと言うのが正直なところです。
学歴は人を救わない、人生を決めるのはいつだって勇気
僕は今まで、「早稲田に入ったら人生が変わる」と思っていたし、学歴さえ取れれば、今後の人生が安泰なんだろうなと思っていました。
でも、実際はそんなこと全くなくて、むしろ、「中途半端なプライドと迷い」の原因になりました。
僕はやっぱり、自分の人生を変えるのはほんの少しの勇気だと思います。
実際に僕が人生を変えることができたのも、「学歴なんてもういらねえ」と思ったからであり、「自分の手で人生を変えたい」と思ったからです。
そんな風に思っていたからこそ、ネットビジネスに飛び込む勇気も湧きました。
もし、そのように思っていなければ、ネットビジネスに飛び込んでなかっただろうし、今こうして文章を書いていることもないと思うのです。
自分の人生を変えるのはほんのちょっとの勇気だとやっぱり僕は思いました。
今回は僕の話を色々としてきました。
話がかなり外れてしまいましたが、学歴ってやっぱりそんなに重要じゃないと思います。
ネットビジネスの世界で、成功してる人はいっぱいいますが、学歴が高い人が多いわけではありません。
むしろ、今回の僕の例のように、良い学歴は往々にして邪魔になります。
ということで、今回はこの辺で。
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