こんにちは、ひろむです。
今回は僕の理念について少し話をしていきます。
僕は今、HSP気質を持っていてるのですが、
ネットビジネスをやっていてひっそりと暮らしています。
で、そんな僕がなぜブログで情報発信するのか?
僕がどんなことを考えて、普段生活してるのか?
最近は、どのような活動をしているのか?
こーいうことについてこれから書いていきます。
大事なことなので、長いですが、色々と書きました。
Contents
早稲田大学に入ってから、社会に馴染めず絶望する
僕は小さい頃から、「良い大学に入って、良い会社に入れば、幸せになれる」と思っていました。
だからこそ、僕はくる日も勉強をし続けます。
勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強、勉強。
ずーっと勉強の繰り返しです。
友達と一緒に遊びたくても、1人で勉強を繰り返しました。
恋愛や遊びをしていたら、ダメだ。
将来、楽をするために、良い大学に入るんだ!
そう思って、僕はずーっと勉強を繰り返していたわけです。
ま僕は浪人を経て、早稲田大学に入りました。
「これから楽しい大学生活が始まるだろう」
そんな風にワクワクしていた僕は見事に現実を裏切られることになります。
というのも・・・・・
・誰でもできると言われているスーパーやコンビニのバイトを次々と首になる
・満員電車や飲み会でパニックになって、何回も倒れる
・コミュニケーションが壊滅的に苦手で、友達や恋人ができずに絶望する
という状態が続いたからです。
正直、これらの悩みであれば、多くの方が経験したことがある内容かもしれませんが、僕の場合だと、さらに・・・・
・人混みに行くと、息苦しくなって、その場にしゃがみこんでしまう。次の日は体調が悪くなって家で寝込むこと多数
・厳しかったり、怖い先輩や先生がいると、プレッシャーでミスを繰り返し、チームメイトに迷惑をかけてしまう(仕事に全くならない)
・マスクを1日8枚持ち歩き、常に付けていないと、体調が悪くなってしまう
・化学調味料、添加物に敏感すぎて、居酒屋やレストランの料理をほとんど食べられない。家に帰ると気持ち悪くなって、吐いてしまうこと多数
・同じ場所にじっとしているのが苦手で、大学の授業中は立ったり座ったりを繰り返したり、キョロキョロ動き回り、何回も怒られる
という状態だったからです。
一言で言うと、全く社会に馴染めませんでした。
次第に僕は、「自分って少しおかしいのだろうか?」と考え込むようになります。
なんで、他の人にできる事が自分にはできないんだろう。
なぜ、僕はこんなに仕事ができないんだろうか。
1人で僕はずっと葛藤をし続けていました。
そして、人一倍他人の言うことを間に受けて、傷ついてしまう。
上司から怒られたら、ずっとそのセリフがグルグルと駆け巡ってしまう。
「なんで自分はあんなミスをしてしまったんだ・・・」
と永遠に1人で頭の中で反省会が繰り広げられてしまう。
そして、友人や家族、恋人から言われたセリフも頭の中にこびりついてしまう。
「ひろむさんってなんか変わってるよね・・・」と言われたら、
「え?自分って変わってるのかな?」と考え込んで胃tubeでNLPとかまう。
それで家に帰ったら、あの台詞は一体何だったのかを考え続けてしまう。
1人でずっと考え込んで、悩み続ける。
僕が大学で見たのは、あらゆる絶望でした。
また「早稲田に入ったんだから優秀なんじゃないの?」と言われることもあるのですが、大学に入ったら、周りはみんな早稲田の学生ですから、その中でも競争が始まります。
もともと僕は要領が良いタイプではなく、コツコツ勉強して大学に入学しました。
ですが、大学に行くと、
「たった1日の勉強で5000文字の文章を丸暗記して、テストで満点を取る」
「朝から晩まで、実験を毎日繰り返し、論文を書き続け、優秀賞として学外から評価される」
「1年生のうちから、毎月200万くらいを稼ぎ出して、自分の会社を作る」
というぶっ飛んだ人間が沢山現れるようになります。
いわゆる、「天才」と言われる人たちです。
ここで、僕は「自分」と「天才」の人たちとの格の違いを見せられつけることになります。
確かに、僕もひたすら勉強したり、行動すれば、「勉強」であれば、ソコソコのレベルまでいくかもしれません。
ですが、この「天才」と言われる人たちも、
・15時間ノンストップで海外の論文を読み続ける
・自分が立てた仮説をプログラムを使って計算し始めて、1人で論文を書き始める
・本を1日に何十冊も読んで、それをノートに毎日書きなぐる
みたいな感じで異次元な努力を積み上げてくるわけです。
(本人たちは努力とすら思っておらず、それが当たり前だと思って勉強しています)
いわゆる、僕は人よりも多くの時間をかけてなんとか人並みレベルになれる「劣等生」であり、よく言えばただの「凡人」です。
ですが、大学には明らかにぶっ飛んでいる「天才」と呼ばれる人たちがたくさんいて、その上で、彼らも尋常じゃないほどの努力を自分で始めるわけです。
僕はこの時点で、僕は「自分が劣等生であるという現実」に気づくことになります。
僕はこの時、運良く自分が早稲田に入れただけであり、全く天才でも秀才でもないことを知るのです。
「こんな天才がいるなら、勉強で勝つのは絶対に無理だ。。。。」
そう思った僕は、バイトやインターンや仕事の面で頑張ろうとしますが、その結果は先ほど話した通りです。
・バイトは次々と首になる
・インターンなどに申し込んで、仕事をするものの、キツすぎて、1ヶ月で辞める
・先輩や店長と全く会話が噛み合わずに、職場で孤立する。
こんな状態が続いてた僕は、次第にある疑問が僕の頭に浮かんでくるようになります
僕はこの日本社会でやっていけないかもしれない・・・・
「ひろむは少しおかしいよ、、お前は変」
「少し、神経質すぎませんか?笑」
このように色々な人たちから言われ続けて、僕は次第にある考えが浮かんでくるようになります。
「今の日本社会はちょっとおかしい!」ということにです。
もちろん、おかしいと思う点はたくさんあるのですが、今回1つをあげるとしたら、「同調圧力」です。
今の日本では、「他人と少しでも違う」と、必死になって叩いてきたり、否定をしてきます。
そして、中には、「お前は間違っている」「お前は悪だ」と言わんばかりに攻撃をしてくる人すらいるわけです。
みんな大学で同じような話をして、みんな同じようなバイトをやって、みんな同じような愚痴を吐いて、みんな同じように大学を卒業していく。
量産型と言わんばかりに、みんな同じような生活を繰り返しています。
別にそれが悪いと言ってるわけではないのですが、僕は疑問を持たざるを得なかったのです。
「飲み会に行ったら、毎回同じような話をみんなとして面白いのか?」
「みんなと同じようなことをして、何が面白いんだ?」
「みんなと同じようなテレビを見て、新聞を読んで、服を着て気持ち悪い・・」
という感じに。
「個性が大事です!」
「自分の意見を持ちましょう!」
と言う割に、実際にみんなと違うことをすると、変な目で見られたり、否定されたりすることが増えていきます。
むしろ、みんなと同じことをしないと、「なんで周りの人は全員やっているのに、あなたはやらないの?」と言われる始末なわけです。
そして、僕自身、HSP気質が強すぎることがわかり、「日本社会で生きていくことは不可能」という結論に達してからは、
ネットビジネスを始めて、自分でお金を稼ぐ道を選ぶようになります。
そこで、僕の収入は5万、10万、30万、50万、80万、100万とだんだん増えていきました。
僕自身、ネットビジネスを始めてからは、次第に収益が伸びていくようになりました。
「ブログを作って、そこから商品が売れていく仕組みを作る」
この繰り返しで、利益がどんどん増えていきます。
HSPの僕にとって、自宅で好きな時に好きなだけ作業できるネットビジネスは本当に天職でした。
「もし、ネットビジネスに出会ってなかったら・・・・」と思うと本当に恐ろしくなります。
HSPの自己分析で終わっている今のHSP業界
そして、僕がこのHSPのひろむとして、情報発信を始めるに至ったにはある理由があります。
僕自身、大学生の頃に、「HSPの自分はこれからの人生をどう送ればいいのか?」と悩んでいたことがありました。
それで、僕はHSPに関するあらゆる本、あらゆるブログ、あらゆるセミナーに行くようになります。
「HSP交流会」なるものに出かけたこともあります。
ですが、僕はどれだけHSPの情報を集めても、僕の人生の迷いが晴れることはなかったのです。
というのは、「HSPの自分の取扱説明書」はわかっても、「HSPの自分の人生攻略法」がわからなかったからです。
「自分はこの先どうやって生きていけば良いのか?」
「会社に入った後、どのようにして生活すればいいのか?」
「この先、自分はまともに社会に馴染んでいけるのか?」
「そもそも自分はどんな職についたらいいのか???」
これらが全くわからなかったからです。
そして、僕自身、一番苦しかったのは、「HSPカウンセラー」だったり、「HSPのブログを書いている人」が「HSPの人が今後どうやって生きていくべきか?」についての明確な答えを出せていなかった点です。
その答えがまだはっきりと出せておらず、自分自身でも悩んでいるように僕は見えました。
実際問題、HSPの人を悩ませているほとんどは仕事の問題ですが、HSPの人は敏感、繊細なことが多く、「日本の会社」ではまともに働くことが難しいのが現状です。
だからこそ、カウンセラーの人も、非常にアドバイスをしにくい部分なのはわかります。
ただ、僕自身はそれを見て絶望したことを覚えています。
「HSPの情報発信をしてる人ですら、悩んでるってことか・・・」
「ってことは、この人たちの話を聞いてもあまり意味がないんじゃないのか・・・・」
と思ったわけです。
僕は今のHSP系ブロガーの人たちが書いてる情報や発信してる内容は、「HSPの自分についての理解を深めましょう」という部分で止まっているのが問題だと思うのです。
HSPの自己分析で終わってしまっていて、その先がない。
「どうやって自分の人生を生きていくのか?」
ここがわからないからこそ、今後の生き方がわからない。
そして、誰もそこを示せていない。
これが問題なのだと思います。
「どう生きるか」が一番大事である
今のHSPの業界に必要なのは、「HSPの自分への理解を深める機会」ではなく、「HSPの自分はどう生きるべきかという道しるべ」だと思うのです。
実際、僕のブログを見て、「HSPの自分にとってこのブログは希望です!読んでいて勇気が出ます!」とか、「自分もひろむさんみたいになれるんだなと思うと、本当に救われた気分です」という感想もいただきます。
だからこそ、おこがましい話ですが、僕はその道を示すために、ブログを書いています。
正直なところ、HSPの自分への自己分析をしたいのであれば、書店で売られている、「HSPに関する本」を読めば、事足ります。
僕は、世間のHSPカウンセラーとか、謎のブロガーが書いているような耳さわりの良い言葉はそんなに書いていません。
なぜなら、そんな耳さわりの良いことを聞いても何も人生は変わらないからです。
確かに、「自分はダメなんだ自分はダメなんだ」と落ち込みまくっている人が、「自分はHSPだったから、落ち込んだりしたのか!なるほど!」と気づきを得ることは大事です。
ですが、本当に人生を変えると決める時には、「過去の自分との決別」が如く、「このままの自分ではダメだ」という自己否定をする必要があります。
星の王子様を書いたサン=テグジュペリはこう言いました。
Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.
愛は、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである
せめて、僕と関わる人には少しでも人生が良くなってほしいと思っていますし、そう思って接するのが僕の信条の1つでもあるのですが、別に寄り添うことが悪いことではないと思います。
全てはタイミング次第だと思っていて、目の前にいる人に寄り添う姿勢を見せるのかどうかは、その人が今、どーいうことで悩んでるのかによります。
そして、寄り添うことで、その人に気づきを与えることもできるとは思っていますが、圧倒的にその人の人生を変えるのは、寄り添うことではなく、道を示すことだと思うのです。
そして、道を示すことが愛であり、それこそが「生き方、在り方」になっていくのだと思います。
だからこそ、僕はブログでも厳しいことはガンガン言うし、自分の本音を常に書きなぐっています。綺麗事や耳障りの良いことでは人は変わらないし、何も示せないからです。
道を示すと言うことは、決して優しい言葉にはならないし、示された道を自分で直視するかどうかを考える際には、「葛藤」が生まれます。
でも、僕はそれが大事なことだと思って書いています。
今後、数年で、HSPの立ち位置は大きく変わります
僕自身、今、このHSP業界はかなり混沌としていると思っていて、今後、ますます多くの人が認知していくようになると思っています。
確かに、HSPという言葉が認知されたのは最近になってからですし、あまりブログを書いたり、サービスを始めてる人が少ないのも実情です。
ですが、今後、数年にかけて、どんどんHSPの存在は広まっていくでしょうから、それに伴って、「実力のあるブロガー」や「メディア運営者」、「ホンモノのセラピスト、カウンセラー」が参戦してくるでしょう。
特にセラピストとかカウンセラーの業界は、入れ替わりが激しいですから、実力のあるれっきとした人がこのHSP業界に入ってきたら、大きく変化していくはずです。
トラウマなどを専門に見ていたカウンセラーなどもHSPの人から相談を受けていたりなど、徐々にHSPの名前が広まりつつあります。
そうなった時に、大きくこの業界の構図は塗り替えられていき、今の情報発信者はほとんど消えていくでしょう。恐らく、全滅です。
実際に、僕はあらゆるジャンルのメディアを作ったり、サイトを運営してきましたが、HSP界隈のブロガーはすぐに更新が止まることが多いです。
それは、「道」を示せていないから、というのが大きな要因だと思います。
道を示せないからこそ、自分でも「HSPの特徴や調書などの情報」をまとめるだけで、何も書くことが次第になくなっていってしまう。
それで、次第に更新が止まる。
これが現状なんじゃないのかなと思うのです。
月収100万を稼いでわかった「お金」と今後やるべき仕事について
そーいうHSP業界の現状を見て、僕はこの情報発信を始めるに至ったわけですが、実際にメディアを作ってきて、お金を稼いで、毎日の生活は確かに変わっていきました。
実際にお金を稼げば、人生は驚くほど変わります。
自分が好きなように毎日の生活を送れるようになるし、好きなものを毎日食べて、好きな時間に起きることができるようになります。
これだけで、HSPの僕は本当に幸せでした。
それで、仕事の嫌な人間関係に悩むこともなくなったし、嫌な仕事を押し付けられたり、マルチタスクをする必要も全く持ってなくなりました。
「なんで僕はこんなに仕事ができずに、いつも怒られてるんだ。。。もう自分は死んだ方がマシなんじゃないのか?」と昔だったら悩むことも度々でした。
ですが、今はもうそれが完全に消えています。
上司から言われたことがずっと心に引っかかって、悩み続けることもありません。
家に帰ったあと、「もう疲れた。。。。」とため息をつくこともなくなりました。
実際にお金を稼いでいけば、人生は変わります。
正確にいうと、お金を稼いだ結果人生が変わるのではなく、お金を稼ぐ過程で、様々な気づきを得て人生が変わるという方が正しいです。
お金を稼ぐことで、僕はどんな仕事を今後の人生でやるべきなのか?にも気づきました。
HSPの人は「自分はどんな仕事に取り組むべきなのか?」「今の仕事をこのまま続けていいのか?」「自分が本当にやりたい仕事って何なのだろう?」と考えることが多いです。
というか、「自分の人生の使命」とか、「自分にとっての天職」みたいなものを心のどこかで探していたりします。
それも僕は、お金を稼ぐ過程で、段々とわかるようになっていきました。
なぜ、自分でビジネスをやると、天職に巡り会えるようになるのかというと、消去法的にやりたくない仕事が見えてくるからです。
自分がやりたくない仕事が削られていって、次第に自分がやりたい仕事が見えてきて、それで、何をやるべきなのか気づいていって、、、、、
という流れで自分の天職に気づいていきます。
また、ネットビジネスを学ぶと、Web集客やWebマーケティングができるようになるので、「マネタイズ」が容易になるため、趣味や遊びすらお金に変えることができるようになります。
「自分は一生これをやっていたいけど、お金にならないから・・・・」ということがなくなるからこそ、天職にも巡り会えるのです。
僕が思うに、ほとんどの人は天職とか、情熱を捧げるものにこれまでの人生で出会っています。でも、それをお金に変えて、仕事にする方法がわからないだけなのです。
だからこそ、僕は自分でビジネスをやって、お金を稼ぐ過程で、天職というものにも自然と気づくようになり、「むしろ、自分は昔から天職に出会っていて、それに気づいてないだけだった」ということにも気づくようになったのです。
HSP気質のある人は、なかなか日本社会では生きづらく、仕事の面でも苦労している人が多いのが実情です。
それで、適職を探していたり、転職をしている人も多いですよね。
ただ、僕は「適職を探す努力」をするよりも、「やりたくない仕事をやらないようにする努力」をする方がいいと思ってます。
というか、適職というのは向いてるだけであって、そこに情熱を捧げるかは別問題だと思うのです。
適職よりも、自分が本気で情熱を持って取り組める仕事を始められる方が僕はいいと思いますしね。
そして、お金を稼いだからこそ、HSPの生きづらさもだいぶ、解消されたように思います。
住めるところも自由に決められるので、落ち着いて、雰囲気が良い場所を選んで住んだり、
化学調味料や添加物が少ない食事を取って、綺麗な水を飲むようにしたり、
自分の好きなようにスケジュールを組んで、毎日暮らしたり、
嫌な人間関係に悩まされずに、自分の好きな人と付き合うようにしたり、
本当に、のほほんと暮らしています。
これもお金を稼いだからこそ、得られた人生であって、ネットビジネスをやってなかったら今の自分はないと思っています。
お金の力はやはり強力です。もし、お金がなければ、これまで通り、社会に絶望して、毎日を生きていただろうし、大の苦手な満員電車にも乗り続ける生活が続いていたと思います。
ですが、それを回避して、今こうして毎日を送れるのは、やはり、お金があるからこそです。
僕たちに今、必要なのは、「生きづらい人生」を回避するための、「お金」だと思うのです。
僕はHSPの自分が今まで大っ嫌いでした
僕は今まで自分が嫌いでした。
全く社会に馴染めず、色々な人たちから変人呼ばわりされて、上司や先輩から怒られ続ける日々。
仕事が全然できるようにならない。
仕事をこなしたとしても、疲れてしまう・・
他の誰もができるような仕事だけでも、疲労困憊。
「自分はこの先、社会でやっていけるのだろうか?」
「こんな仕事で疲れてしまって、何十年、生きていけるのかな?」
こんな風に僕は悩んで悩んで、心が苦しかったです。
「あー、自分1人のペースで仕事が進められたらな・・・・」
とは思うけど、そんな都合の良いことはできない。。。
「自分はこの日本社会でまともに生きていけない」という絶望。
そして、HSP気質があるという自分への苛立ち。
なぜ他の人たちのように、普通の人生を送ることができないのか?
僕はずーっと昔から苦しい思いを抱えていました。
そして、僕自身、周りの人のように「この社会で生きていけないかもしれない」と認めることは本当に苦しかったです。
なぜなら、僕は今まで、「普通で平凡だけど、幸せな人生を送るために」努力してきたからです。
それが僕の今までの行動の源泉であり、生きる目標でもありました。
でも、それが根本的に覆されて、「普通の人生を送ることはどうやら無理そうだ」ということに気づいてしまった。
僕は今までの自分を否定せねばなりません。
これまで頑張ってきた努力を否定せねばなりません。
だからこそ、僕は苦しかったです。
できることなら、普通の人生を送りたい。
それが何よりの願いでした。
でも、僕はそれが無理だと悟ったからこそ、「なんとかして生きていく方法を探す」ということを決めました。
でも、僕はこうして生きるようになって、あらゆる景色を見ることができるようになりました。
そして、結果として今、幸せに過ごすことができています。
そう考えると、僕が毎日苦しくて、必死だったあの日がなければ、決して今の自分はないだろうなとも純粋に思うのです。
なぜならば、HSPでまともに社会に適合できないという悩みがなければ、ネットビジネスを始めることもなかっただろうし、普通に大学に行って、普通に会社に行って毎日を過ごしていたと思います。
月に100万とか稼いで、毎日を楽しく過ごすことは絶対にできなかったでしょう。
そう考えると、「僕は自分がHSPじゃなかったらなあ。。。。」と考えることはできても、その問いが果たして建設的なのか全くわからないのです。
「それって考えても意味ないやろ。だって、HSPじゃなかったら、ネットビジネスやってないわけだし・・・・」
と僕は思います。
そんな風に気づいた僕は、自分がHSPのことで悩んで、辛かった日々を、「今の自分を作った大切な日々」と再定義することができたのです。
ジョブズはこれを、「点が線になった感覚」と話していますが、それと同じだ思います。
また、人によっては、「黒のオセロが全て一気に白にひっくりかえる瞬間」とも言いますが、同じことだと思います。
だからこそ、僕は今の自分が嫌いかと言われたらそんなことはないですし、そもそもそのことで悩まなくなったというのが正直なところです。
ただし、自分はHSPだと自覚はしています。
ただし、そこまで自分がHSPであることを考えたりとか、意識する瞬間も減りました。
それも全て、点が線になったからだと思います。
HSPと幸せの両立は可能です
僕がいつも常に言っているのは、「HSPと幸せの両立は可能」ということです。
HSPというのは確かに、今の日本社会では非常に生きづらいですし、常に疲れまくってます。
だからこそ、幸せという感覚よりも、辛いと感じる人の方が多いかと思います。
そして、自分の声に正直になって、HSPとしての自分を歩もうとすると、周りから孤立しているような感覚になったり、「自分は他の人ともう違うんじゃないのか・・・」と悩むことも出てきます。
ですが、僕はそこに幸せは確かにあると思っています。
確かに、HSPとして自分に正直になって生きることは、苦しく辛い道のりに感じるかもしれません。勇気がいるかもしれません。怖いと感じるかもしれません。
僕も事実そうでした。
周りと同じように「普通」を目指して生きるのを諦めようと思った瞬間
会社を辞めた瞬間
ネットビジネスで100万稼いだ瞬間
「僕はもう普通の生き方はできない」と気づいた瞬間
いつだって怖かったです。
ですが、その勇気を振り絞って、踏み出した先には、本当にそれだけの価値がある未来が待っていました。
僕としては、息苦しい毎日を送って、死にそうになりながら、普通を目指して生きるよりも、HSPとしての人生を送って、決断し、毎日を必死に生きる方が遥かに楽だということに気づいたのです。
そして、その先には、僕が求めていた幸せがあったように思います。
「HSPの人にとっての幸せとは何か?」を定義するのは非常に難しいのですが、僕にとっては、
自分が快適に過ごせるだけのお金を手にして、自分が情熱を捧げる仕事に本気で取り組むことです。
僕は幸運にも若いうちに、両者に出会うことができました。
そして、その2つを手にした人は、「幸せな人生」を送ることができると僕は今でも信じていますし、僕自身、そう思いながら毎日過ごしています。
僕自身、もう普通の生き方はできないと悟ったし、その普通の生き方をする必要もないと気づきました。
HSPにはHSPの生き方がある。
だからこそ、僕はHSPとしての人生を全うしたいと思っています。
そのためには、まずはお金、そしてお金を稼ぐ過程で見つけられる天職。
それを手にすることができる人は本当に少ないと思うし、手に入れられたからこそ、その人生を全うしたいと思うのです。
生きづらさの中に見つけた幸せ
HSP気質は確かに日本社会では非常に生きにくいです。
周りからは共感されないし、かと言って、全く社会に適合できないわけでもない。
(僕は完全に社会に適応できませんでしたが)
それで、病気でもないから、人によっては甘えだと言われる場合もある。
私はHSPだから、そーいうことはちょっとやめてくださいと伝えるのも難しい。
満員電車、人混み、化学調味料と農薬だらけの食事、同調圧力。
数えればきりがないほどの壁が私たちHSPにはあります。
ですが、その息苦しさの中に見つけた幸せもあるはずです。
僕が会社で働いていた時に、どうすればいいかわからなくて、1人で悩んでいた時に、「大丈夫?何か手伝おうか?」と言ってくれた、先輩がいて、僕は1人で泣いてしまいました。
「あ〜こんなに優しい人がこの世にいるんだなあ」と、僕は思ったし、「僕もこんな風に人に優しくできる人間になりたい」と強く感じたし、本当に幸せだなと思いました。
また、毎日が苦しくて、しんどい中でも、本当に感動する音楽や芸術作品に出会うと、僕は「こんなに素晴らしい音楽があったのか!」と1人で涙を流して、周りから変人扱いされてたのですが、小さな幸せはいつも見つけられていたと思います。
その小さな幸せは、僕にとって唯一の生きる希望でもありました。
「確かに僕はもう社会に適応できないし、本当に苦しいけど、小さな幸せを見つけることはできる。。。。でも、もっと大きな幸せを掴みたい」
そう思ったからこそ、ここまで来れました。
HSPの人であれば、どんなに闇の中にいても小さな光明は目に届くと思います。
その、光を目にした後、どうするのかは自分次第です。
目をつぶって、闇の中をひたすら歩き続けるのか、それとも、目を閉じずに歩き続けるのか、、、、、
僕は何回も目を閉じました。閉じてひたすら、HSPとしての自分を恨み続けました。
自分を憎み、僕を生んだ親を憎み、理解してくれない友人や恋人を憎み、知った口を叩く先輩や先生も憎みました。
息苦しい雰囲気を作り出した日本を恨み、社会を恨みました。
でも、そうやって憎んだけど、僕は最終的に自分が変わるしかないと気づきました。
「周りのせいにするのは簡単」だけど、「周りを変えるのは難しい」
「自分のせいにするのは難しい」でも、「自分を変えるのは簡単」
これって本当に真理だと思うんです。
両者とも矛盾していますが、的を得ています。
そして、小さな光があるからこそ、僕は諦めずにここまで来れたし、今の自分があるんだと思います。
もし、辛くなった時に思い出して欲しいです。
今の自分の瞳に映るわずかな光明はありませんか?
本当に闇しかありませんか?
今、自分が持っているものはないですか?
今、自分を助けてくれる人はいませんか?
生きづらさの中でも小さな幸せは見つけられませんか?
小さな幸せこそが未来の自分を作る
僕がここで「小さな幸せ」と何回も繰り返し言っているのは、小さな幸せこそが未来の自分を作るからです。
書店で売られている「HSP本」にも「HSPは小さな幸せを見つけることができるからそこが長所」と書いていますが、僕の意見とは似て異なるものです。
僕は「小さな幸せ」こそがHSPに届く小さな光明であり、それが未来の自分を作るものだと確信しています。
人が生きるために必要なのは、「希望」と「絶望」の2つです。
絶望は人々に「現実」という悪夢を与えます。
その悪夢から逃れるために、必死にあがけるのか、もがけるのかは人次第です。
ですが、悪夢だけでは、人は動けません。
絶対に希望という「光」が必要です。
2つあって、初めて人は生きれます。
ただ、絶望は今の自分を変えるために必要ですが、未来の自分は作れません。なぜなら、絶望というのは過去だからです。過去の自分の延長線上にある未来なんぞ、絵に描いた餅にすぎません。
未来の自分を作るのは、希望という名の光です。
僕が社会に馴染めずに毎日絶望していましたが、その中で僕が見つけることができた幸せはたくさんあります。
・会社で仕事ができずに、1人で死にそうに、泣きそうになりながら書類を作成していた時に、「手伝おうか」と優しく話してくれたある先輩。
僕はこの先輩が優しくしてくれたからこそ、「困っている人を助けることがどれだけその人の人生を変えるのか?」ということに、「真に心から」理解できました。
・会社を辞めるか迷っていた時に、「お前はスーツなんて似合わないよ」とさらっと伝えてくれた当時お世話になっていた先生
僕が迷っていることをわかった上で、こうやって伝えてくれたのは本当にありがたかったし、その人の愛情を感じました。言葉の使い方1つで、相手の人生が変わると思うと、恐ろしくもあり、美しくもある。
・毎日が辛くて、死にそうになっていた時に聞いた、恐ろしく美しい音楽。感動しすぎて何度も泣きました
たった1人が作った音楽が多くの人に希望を届けられるって本当に素晴らしいなと思う
これらの小さな光、小さな幸せが今の自分を作っています。
一度自分が見つけた幸せや光というものは何があっても忘れるものではありません。それどころか、その幸せをもとに自分の在り方や生き方を決めるようにもなり、確実に今の自分を形作るようになっています。
僕が死にそうで、辛かった時に、ふとしたことで見つけた「小さな幸せ」は今の自分を作っているし、ビジネスだろうが、普段の生活だろうが、自分の目標に何かしら関係しています。
というか、そこで見つけた小さな幸せから、僕の夢や目標を考えるきっかけになったとも言えます。
だからこそ、「小さな幸せ」を見つけたら、それを忘れずにいて欲しいのです。
そして、その小さな幸せがいつか未来の自分へ繋がると信じて欲しいのです。
HSPがギフトなのかは僕はわからない
「HSPの繊細さはその人だけに与えられたギフトです」
HSPの本を読むと、このような文章が出てくる。
ただ、僕はこの意見が正しいのか、間違っているのかわからない。
わからないというか、コメントのしようがないというのが正直な所。
なぜなら、HSPは今の日本社会ではあまりにも生きづらいし、正直、苦労することがあまりにも多いからだ。
それに、HSPの気質で苦しみまくっている人に「HSPの繊細さはギフトですよ」と伝えるのは正直、何も意味がないと思う。
僕自身、化学調味料や添加物が入っている料理を食べると、気持ち悪くなったり、頭が痛くなることが多いので、あまり外食ができない。
だけど、周りでそんなことが全く気にならずに、外食をしまくって、ピンピンしている人を見ると羨ましいなと思います。
会社で上司に怒られまくっても、全然ピンピンしてたり、プレッシャーをものともせずに仕事をこなしている人を見ると、純粋に羨ましいなと思います。
それに比べて、HSPは・・・・・・
と僕自身、何回も思ったので、「HSPの繊細さはギフトである」というのは少し難しい気もする。
でも、それがギフトになるのか、邪魔者になるのかは、結局のところ、結果論でしかないと思います。
もし仮に僕が、HSPじゃなかったら、ネットビジネスに出会ってなかっただろうし、こうしてお金も稼げて自由に過ごせてないだろうから、その意味では、「HSPはギフト」であると言えます。
でも、僕がネットビジネスをやる前や中学、高校時代は本当に苦しい毎日だったし、「HSPがギフト」なんて思うことはできなかったわけです。
だからこそ、「HSPがギフトなのかどうか?」は結果論でしかないし、考えても無駄ということになります。
それよりも、「HSPの繊細さがギフトである」と言えるような努力をすることが僕は重要。
というのが僕の考えです。
僕がHSP交流会とかを否定しているのは、HSPがなんたるかを定義したり、議論することは重要ではなくて、それよりも行動やこの先の人生について話し合う方が有意義だと考えているから。
そこで、HSPのことを肯定しあったり、HSPの良いところを見つけたりして、話し合うのではなく、
「HSPがギフトであることを信じ、行動する」ことの方が何百倍も大事だと思うのです。
「HSPがギフトであるか」なんて誰もわかりません。
「HSPには才能があるのか」もわかりません。
そして、それを断言するのは僕はおかしいと思うし、断言できる根拠すら曖昧だと僕は思ってます。
でも、「HSPをギフトだと信じる」ということは可能だし、そうするべきです。
HSPをギフトだと信じれる人は「行動すると決意した人」のみです。
行動しなければ、HSPをギフトだと断言できる根拠も勇気も生まれないから。
むしろ、「HSPがギフトである」ということを、行動によって証明しようと思っているからこそ、信じることができるわけです。
最後に
繰り返しますが、僕はHSPと幸せの両立は可能だと思っています。
だって、僕が幸せだから。
「なんて傲慢な」と思うかもしれませんが、事実、僕はそう思っています。
そして、小さな幸せから目をそらさずに、光を常に見続けることができるならば、絶対にその先の未来は輝かしいものになるはずです。
僕はそう信じて、今まで毎日を過ごしてきました。
ということで、今回はこの辺で失礼します。
かっこいい
なんか心打たれました。文章に想いが宿ってるというか、こういう文章を自分も書けるようになりたいと思うばかりです。今後も勉強させて頂きます。
私もHSPがギフトとか、繊細さが長所だと言う話に嫌気がさしていたのですが、確かにそうだなと感じます。ギフトかどうかなんてわからないですもんね。
いつも勉強させてもらってます。ありがとうございます。
ひろむさんは早稲田出てるし、やっぱ才能あったんだろうなと思ってましたが、この文章見てたら、ひろむさんも辛かった時期があったんだと思って親近感が沸いてきましたし、この文章を見て、あ、本当にHSPなんだなって再認識しました。文章がすごい独特です。
いつも、LINE講義の方読ませてもらってます。
なんか勇気づけられました。
ありがとうございます。